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ちょっと一息その1 |
三基計装株式会社では施設園芸ハウスの適温制御のための自動化機器を製作し、販売しております。1970年頃までは温室の温度管理は農家さんが手動で行ったり、高価な海外製の制御器を導入しておりました。当時は温室といえばガラス製の大変高価な設備でしたから、その中で生産される植物は、露地ものが出回らない時期に高価に販売できるものとか、日本国内では作れない南国フルーツといったものでした。「ハウスメロン」とかバナナ、みかん、さくらんぼ、いちご、トマト、菊、バラ、蘭、ベコニア等の花卉類、ハーブなどで、ほうれんそうやレタスなど葉物野菜はずっと後です。『温室育ち』というと、大事にされて育ったお坊ちゃんなどの代名詞でした。温室はもともとオランダなどヨーロッパ北部で発達したもので、南欧のような温暖なところと違い、寒冷地でも作物を生産しようという知恵がもたらしたものです。
オランダと言えば連想するのは海面より標高の低い土地があるところとか風車、そして「チューリップ」を始め、花の咲き乱れる国です。ライン川下流の低湿地帯を干拓(ボルダーと呼ばれる)し、堤防を張り巡らして、国土の4分の1が海面下にありますが、そもそも「ネーデルランド」というのは「低地の国」という意味です。オランダの首都アムステルダムは、13世紀はじめ、アムステル川にダム(堤防)が築かれ、街が築かれたことより名付けられました。ロッテルダムなど、名前の中にダムと付けられている街も同様です。王国であり、人口16百万人強、最高標高322mの平坦な国です。ヨーロッパの近世の歴史は、スペインが無敵艦隊を誇り南米等を次々に植民地化し、ヨーロッパも席巻しました。ポルトガルが後を追うように進出して行きました。ブラジルだけがポルトガル語、他の国はメキシコを含めスペイン語です。日本にも種子島にポルトガル人が漂着し、これが鉄砲伝来になりました。オランダはスペインと独立を目指して戦い、戦争の長期化でオランダ南部は結局奪われてベルギー、ルクセンブルクとしてその後独立しました。イギリスが、スペインの無敵艦隊を破り、スペインは急激に衰退して行きました。イギリスがアジアに進出し、次々植民地化して、東インド会社を作りました。オランダもアジアに向かい、ポルトガルの権益を奪い、日本の鎖国時代に唯一長崎の出島で交易が許されたというのは当時のオランダ海上帝国の勢いが窺われます。しかし、イングランドとの3度にわたる英蘭戦争で疲弊し、フランス革命後のナポレオンに侵され、イギリスが着々と世界覇権を成し遂げてオランダの海上覇権は地に落ちました。その後今度はナチスドイツに占領されるなど、散々な目にあいました。画家ゴッホの生まれた国、企業ではフィリップスやロイヤル・ダッチ・シェル(英蘭)が有名、ワークシェアリング発祥の地でもあります。
オランダ人は沼地や湖の水を、風車や蒸気機関の力で運河へかき出し、海へ流すことで国土を広げてきました。
この土地は決して肥沃ではありません。それなのに、世界の花市場の6割を占めるという農業国であり、オランダ人は世界中へ進出して農場を持っています。国内経済に占める農業の割合は数パーセントに過ぎないのですが、施設園芸に関しては世界一の先進国です。ただしオランダの温室設置面積は約1万ha、日本は5万haです。規模では日本が5倍もあるのです。緯度は北緯53度近辺、長崎ハウステンボスのオランダ村は33度ぐらいです。オランダから北緯33度をめざして同じ経度で南へ辿ると、地中海を越してアフリカ北部アルジェリアの砂漠の中です。アムステルダムはロンドンより少し緯度が高く、日本では宗谷岬を越して樺太(サハリン)のど真ん中ぐらいになります。夏でも冷房は不要です。冬は海に面していることもあり、零下10℃ぐらいまでしか下がりません。年間通して冷涼なので、ハウスは暖房オンリー、しかも日本のような重油焚きの空気暖房機でなく、ボイラーを熱源とした温水をハウス内に配管して流し、輻射熱で空気を温める方式です。日本とオランダの決定的な違いは、日本が四季の寒暖の差が大きく、夏は熱帯、冬は寒冷地のような温度になること、それ以上に海に囲まれて、しかも細長く海面から立ち上がって高山がある、言わば海から刃物の刃がニョキッと出たような地形なので、昼夜の温度差が大きいことです。したがって間接暖房では追い付きません。どうしても直接温風をハウス内に送り込みたくなります。夏はクーラーで冷やすわけには行かないので、ほぼお休みです。設備の減価償却期間がどうしても延びるのです。先進国オランダは例えばトマトにしても単位面積当りの収量を3倍に増やすなど、栽培技術で世界をリードしてきました。イチゴやパプリカ、きゅうり、花卉類など、生産品目は日本と同じです。日本が先進国オランダに追随するには、この面でまだまだ研究が必要です。
オランダは東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は海です。欧州は北部へ行くほど長身の人が多くなり、オランダの男は大抵180cm以上です。これはドイツ人とも共通していて、街の中を歩いているとまるで林の中を歩いているみたいです。寒冷地気質でとてもケチです。車も小さな車に大男が乗っています。「ダッチ」という言い方はやや軽蔑的ニュアンスが感じられます。昔は日本国内の温室も「ダッチ」と言っていました。今ではオランダ南東部でドイツ国境と接するフェンロー地方(都市ではマーストリヒトが有名)の連棟式ハウスが日本国内にも多くなり、これを「フェンロー」と呼んでいます。気候のハンデを乗り越えて、知恵と労力で施設型農業を発展させた農業者は富裕層で、地方の名士や議会議員はオランダでは農家なのです。日本は気候に恵まれているようでいて、それ故に稲作などの1期作もしくは麦との2毛作で、冬場は副業で暮らすという農業でしたから、農家は一戸当りの耕作面積も小さく、豊かとは言えないのが現状です。知恵と労力次第で、年間を通して収穫できる施設型農業に取り組めば、オランダ以上に発展できるはずなのです。ただ、一戸当りの耕作面積が小さい「施設園芸」である限りは収入の大幅な増加は見込めません。「芸」が付いているのでわかるとおり、日本のハウス農家は芸術家のようなものです。外気温の大きな変動の中で植物の環境温度を生理学的に健やかな状態に保つためには、小面積なら芸術でも良いのですが、大規模になるにしたがって「自動制御」でなければやっていけません。この制御器は単純なものでは済まないので、土地柄に合わせて構築型のものが求められます。
海外製の制御器しか無かった時代に国産の温度調節器を市場に供給しようと三基計装が登場した1971年、時代はトランジスタからICに移りつつありました。日本施設園芸制御器の先駆者である三基計装は、世紀が代る長い時を経て、次々と市場参入した大手メーカーが撤退し、またもや孤軍奮闘の場面を迎えています。一時は日本の気候に合わないとされた「ダッチ」は、「施設園芸」の域を脱して工業的な植物生産をめざす政府機関の意向を反映して、「フェンロー」型の連棟ハウスを国内温室メーカーが手がけるようになり、制御器も「複合環境制御」のような難しいものではなく、PLC式のオランダやデンマークなどのヨーロッパ製が用いられるようになりました。しかし一般農家さんにとっては三基計装が頼みの綱というところがまだまだ多いのです。今後施設型農業の大規模化によって植物工場が次々設置され、減価償却も考慮して株式会社型の経営管理システムを導入して投資効果を追及して行けば、「儲かる農業」への転換は可能です。三基計装は「太陽光利用型植物工場」にも「完全人工光型植物工場」にも対応します。日本経済に占める農業生産高をほんの1%高めれば、日本には「農業長者」が続々生まれてくるでしょう。また、オランダがそうであるように、日本の施設型農業技術を国内に留めず、グローバル展開していけば、重要な輸出産業に成長していくでしょう。「完全人工光型植物工場」などは日本の独壇場です。日本が得意とする太陽光エネルギー利用、二次電池、燃料電池、空気・水処理技術などと組み合わせて行けば、日本の代表的な輸出産業に成長するのも夢ではありません。
3月に埼玉県朝霞市の花農家さんが三基計装本社にわざわざ代金支払いに見えました。戸田市は荒川の川向こうで近いのですが、そのときに下記のようにきれいな花をドッサリとお土産に持って来てくれました。有難く、本社の階段踊場に飾りました(^-^) 逆らえない自然を相手に、植物を育成することに懸ける農家さんは人の良い方が多く、キュウリやトマトやイチゴなどを営業マンが頂いてきます。有難うございます。
2009年5月
オランダの代表的風景…風車とチューリップ。この大きな4枚
羽根風車の動力で低湿地帯の水を汲み上げて運河に放出する2009年3月 朝霞の飯倉さんから頂いた花 しかし風車はディーゼルポンプに替わり、ピーク時の1/10に減少